人間における二段階選択仮説について
多くの生物では性交においては雌が雄を選ぶようになっている。
これはより強い子孫を残そうとする本能の働きである。
そして、この性交時の雄に対する選択圧は、その生物が食物連鎖の頂点に近づくほどに強くなる。
だから、逆に食物連鎖の底辺にいる生物にとっては、強い子孫を残すことよりも、より多くの子孫を残すことが優先さえるがゆえに、選択圧はそれほどあるいはほとんど働かないのである。
食物連鎖の頂点付近にいる生物は皆、雄に対する選択圧は高くなるのは事実として観察される。
・人間の場合
では人間はどうだろうか。
私は最近まで人間においても同様に例外なく、雌による雄への選択圧は高いものであると思ってきた。
なぜならば、人間は生態系の頂点に存在しており、外敵が存在しないからである。
確かに、以前のエントリーでは人間の生物的な脆弱性を以って選択圧がそれほど強くないのかもしれないと論じたこともある。
しかし、現実社会を見てみると、有史以来、人間においてもまた雄への選択圧は高いままであることが確認できる。
・見過ごされている問題
さて問題はここからである。
人間でも雄への選択圧が高いのはいいとして、
ではなぜ人間社会においては、
「形式上は男性が女性を選ぶという形式」
が一般的なのだろうか、という疑問が生じる。
この疑問に対する有効な回答は、おそらくは現時点まで無いように見える。
無いというのは、少なくとも近現代において、西洋・東洋を問わず、この問題に対して有効な回答が提出されたようには見えないということである。
(これは4千年以上という文明の歴史を考えると異常なことであることがわかる)
・問題が放置される理由
これは私の推測なのだが、おそらく哲学者・科学者・社会学者・文学者を問わずに、人間の性の問題に対する本格的な分析を試みることに対して、一種の危機感のようなものが無意識のレベルで働くのではと睨んでいる。
なぜならば、人間の性の部分を分析対象とすることで、その部分に対して致命的なダメージを与えてしまう可能性があるからである。
例としては近代のフェミニズムを見れば分かると思う。
これが性の問題がこれまで分析の対象とすらされてこなかった原因であると思われる。
(その意味で唯一の例外がフェミニズムなのであり、そしてその破壊力が(予想通り)甚大であることも確認されるのである)
・とりあえずの仮説
さてもう一度問題に戻る。
「なぜ人間社会においては、雌が雄を選ぶにもかかわらず、
形式上は男性が女性を選ぶという形式が一般的なのだろうか」
これに対するとりあえずの仮説を最近思いついた。
(以前も思っていたのだが、それほど重要視していなかったのだ)
それは、
「人間の場合は雄と雌が相互に相手を選ぶことによって、
種に対する選択圧がより強くかかるようになっているのではないか」
という仮説である。
つまり、生物界で広く見られる雌による選択圧だけでなく、
雄による雌への選択圧も存在することで、より一層選択圧が強くかかるのでは
というものだ。
そして、この選択は通常は雄の選択が最初にかかり、次に雌の選択がかかる。
これで形式上は雄が選ぶが、最終的には雌が雄を選ぶという、
現代社会にみられる現象を説明することが出来るようになる。
この2段階の選択圧の仮説を、「二段階選択仮説」と呼ぶことにする。
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